慣れとは恐ろしいもの

いよいよ師走の12月になり、気候も冬らしくなってきた高野山です。

今回は、私がふと思ったことをひとつ

これは最近修復をした屏風の背面です。

屏風 修復後

修復前は経年により糊の接着力がなくなり、負荷がかかる紙番は自然に崩壊していました。

屏風 修復前

この屏風はおそらく今回が初めての仕立て替えと思われ、そうであれば製作されてから約100年ほど経っていることになります。表面には書画が貼られていました。それらの書画を修復しながら私は、「100年ほど前なら、まだ新しい方だな」と思っていました。

少し話が変わって上記の屏風と同じ頃、かなり古い作品を修復したのですが、そこに書かれた元号によると約400年前のものとわかりました。さすが歴史ある高野山。400年も前のものを修復するのは緊張します。そのとき私は、ふと客観視できたというか改めて思い知ったのですが、

400年も前のものが目の前にあるってものすごいことじゃないですか?

もちろん普段から古いもの新しいもの関係なく修復表装するときは、次の世代に残るように、出来るだけ今の状態を維持できるように、少しでもいい状態になるようにと修復表装します。だから、100年前が比較的新しいものと思うから手を抜くなんてことはないのですが、その作品を修復したときは目の前のものが、あまりに時間を越えてきたものだと改めて思い、それと相対していることに不思議な感覚を覚えました。

そこで、改めて私は上記の屏風を見て思ったのです。

「100年前のものが目の前にあるってものすごいことじゃないか」って

前までは15年ほど前をほんの数年前に思うような感覚の延長で100年前を思っていました。高野山は本当に古いものが多く、ありがたいことに私たちは日々それらを修復させてもらえます。その中で年数への慣れが生じていたのだと思います。

歴史あるものを扱わしてもらえる責任を再確認した、そんな出来事でした。

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