金箔を「押す」

今年は早い梅雨入りとなり、乾燥しにくく作業が捗らない毎日です。早く梅雨入りした分、早く明けてくれればいいのですが。

本金箔を押した和紙を使い、額にお仕立てする機会がありました。ちなみに表具では、金箔を「貼る」と言わず「押す」といいます。

本金箔 額装

本金箔は字の通り本金を使用した箔です。といっても、すべて金から出来ている訳ではなく、少量の銀と銅を合わせた合金から作られます。最も多く金が含まれる金箔は「五毛色」と呼ばれ、金約98.9%、銀約0.5%、銅約0.6%含まれています。金含有量が少なくなるごとに一号色、二号色、三号色、四号色、三歩色と呼ばれ、四号色で金約94.4%、銀約5%、銅約0.6%となり、三歩色は金約75.5%、銀約24.5%です。四号色までは色味に大差はありませんが、三歩色になると黄色っぽさが際立ちます。

本金箔

本金箔の厚みは0.0001mm(0.1マイクロメータ)。金属をここまで薄く延ばせられるのかと驚かされます。これほどの薄さなので少しの風で簡単に飛んで行ってしまいます。また静電気で引っ付いてしまうので、金箔を扱う道具は竹製になります。扱いに失敗し、指や道具に引っ付いた場合は、あっという間に金でコーティングされた豪華な指や道具が出来上がります。

このように、扱いにとても苦労する金箔ですが、本金箔はやはり本金の色、輝きが魅力的です。しかも経年による変色がほとんどありませんので、この美しい輝きを長く見せてくれます。

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桐箱蓋を開けるコツ

桐箱の蓋を開けるときに固くて開けにくい…開けるときに破損した…といったお声をちょこちょこ聞きます。

そこで、今回は蓋を開けるコツをお話できればと思います。

桐箱で一般的な形は印籠型(薬籠型)と呼ばれるものと思います。格さんが「この紋所が目に入らぬか」と突き出す、あれが印籠ですが、あの入れ物の蓋の構造と同じ型をした桐箱です。

桐箱(印籠・薬籠型)

印籠型は、かなり気密性の高い箱なので、その分蓋が開けにくいです。この蓋を開けるコツは、まず下の図のように両手で桐箱と蓋を持ちます。そして蓋を片側だけ開けるように、ゆっくり力を入れていきます。すると徐々に開いてきます。

印籠型の桐箱は、蓋と箱がピッタリ合うように作られており、蓋を180度向きを変え閉じようとすると合わなくなります。これは「片合」という桐箱の仕様です。

蓋の向きを変えてもピッタリ閉じられる「両合」仕様の桐箱もありますが、お値段お高くなってきます。桐箱と蓋に合印のようなものを付けておけば、向きを間違えずに良いでしょう。

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恒例。古糊の様子はどうでしょう

春のような暖かい日が、ちらほら出てくるようになってきました。大阪の方では、梅が開花しているようです。高野山では、まだ蕾の状態です。

先日、恒例の古糊の水替えを行いました。平成28年に仕込んだ糊に少しカビが出てきていました。いよいよ、耐カビへの第一歩を歩み始めたのでしょうか。

古糊に使われる糊は、小麦粉からグルテンを抜いたデンプンで作ります。似たような糊で米から作る糊があります。

小麦粉から作る糊は「正麩糊(生麩糊)」といいます。沈殿したデンプンを使うことから「沈糊」とも呼ばれます。そして米から作る糊は「姫糊」と呼ばれます。確か、舞妓さんの髪飾りの花かんざしを製作する時にも姫糊を使っていたように思います。

姫糊は、正麩糊に比べ接着力が強く、より濃度の薄い糊で作業することができます。しかし虫害に弱く、また我々でいう「ヤケ」という和紙が茶色く変色する現象が起きやすいです。

どちらも使ったことがありますが、正麩糊は触感がサラサラとしており、姫糊に慣れていると少し頼りなく感じます。

昔読んだ絵本「したきりスズメ」でスズメが、おばあさんの障子貼りに使う糊をスズメが食べてしまって舌を切られてしまうという話の筋でしたが、子供ながらに、糊なんか食べてスズメは大丈夫なのだろうかと思っていましたが、米や小麦粉から作られていたとなると、そりゃ食べてしまうかもなと、今では納得いく話でした。

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掛け軸鑑賞~大綱宗彦和尚和歌~

当店が所有している掛け軸で、大徳寺塔頭黄梅院第14世住職 大綱宗彦和尚の和歌です。大綱和尚は江戸時代後期の僧で和歌、茶の湯を能くし書画に優れたそうです。

僕が京都で居るときに、黄梅院さんの第20世住職 小林太玄和尚の掛け軸を山盛り表装させていただきました。そのこともあって、この大綱和尚の掛け軸に勝手に親近感を持っております。

和歌は

「比く人も 比かるる人も 水乃阿者の うき世なり介梨 淀乃川舟」

と書いてあるようです。

比や阿の字は変体仮名と呼ばれるもので現在使われている平仮名の異体字らしいです。比⇒ひ 乃⇒の 阿⇒あ 者⇒は 介⇒け 梨⇒り と変換でき、よって現在の平仮名で書くと

「ひく人も ひかるる人も 水のあわの うき世なりけり 淀の川舟」

となるのでしょうか。

この表装の一文字に使われている裂地が、竹屋町金襴です。中でも絧入り(どういり)竹屋町といわれるもので、金紙以外に色糸(絧)を使って文様を織り出し、とても華やかな竹屋町です。

中廻しに使われている裂地が絓(しけ)です。元々は、不良な繭から作られた絹糸で織り出されたため所々に節やコブがあります。よって安価な裂地でしたが現在では、意図的に節やコブの入った糸を作り織り出しているため、高価な裂地になっています。この裂地の由来もあってか、茶室に掛けるような掛け軸(茶掛け)によく使われます。粗い表情ながらも雅やかな裂地です。

次に上下の裂地に使われているものが揉み紙と呼ばれるものです。素材は和紙でできています。和紙に顔料を塗った後、その和紙を揉み、皺を作ります。その皺部分の顔料が剥離し模様になります。揉み紙は二色の顔料を塗られます。そのため剥離した部分から下に塗った顔料の色が出てきます。元々は古びた表現のために皺を付け始めたそうです。

禅と茶の湯は深い繋がりがあるそうです。そして、茶道において大徳寺高僧の墨蹟は「大徳寺物」と称され、大切にされます。そんなことから、この掛け軸も茶掛けとして仕立てられており、内容が和歌ということもあり、絧入り竹屋町で華やかさも加えてあるのでしょうか。仕立てが内容に沿うよう考えられていることが、見てとれます。

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虫干しのすゝめ

新型コロナの脅威は、変わらずな日々ですがwithコロナで少し経済が回りだしているでしょうか。高野山は今、紅葉の真っ盛りで参拝に来られる方々も増えてきているように思います。

最近、空気が乾燥していませんか?こんな季節に是非「虫干し」を行っていただきたいです。虫干しとは、掛け軸や古い書物・着物などを収納場所から出し、風を通してあげることで、カビや虫から大切なものを守ってあげる作業です。

古くは、平安時代から行われているそうです。

ここでは、掛け軸の虫干しについて説明しますが、方法は簡単。

まず、天気の良い空気が乾燥している日を選び、風通しの良い部屋で掛け軸を吊るし広げます。このとき、風で掛け軸が揺さぶられるような場所は掛け軸を痛めるので避けましょう。また、日光の当たる場所は、変色を起こす可能性があるので避けます。

後は、一日掛けたまま、よく乾燥させてあげてください。このとき、納めていた桐箱も蓋をあけ、よく乾燥させてあげます。

夕方になると、湿度が上がってきますので、それまでに桐箱へ掛け軸を収納して終了です。これを何日か繰り返せば、よく乾燥しカビなどからの被害を減らせます。

屏風の場合も同じように、閉じてある屏風を広げ立て、風をよく通してあげるといいのですが古い屏風の場合、急激に乾燥が進むと紙番や表面が裂けてしまう可能性があるので、空気がよく乾燥しているときは、短時間だけ風を通すを何日か繰り返し徐々に乾燥させるのが、よいと思います。

昔から7月~8月の土用干し、10月~11月の虫干し、1月~2月の寒干しとあるそうですが、最近の7月8月は湿度が高いですし、1月2月も雪が積もっていれば湿度が上がりますので、雪が解け春が近い3月4月、そして10月11月の虫干しと年2回ほど、よく乾燥させてあげるのがよいと思います。

管理次第で掛け軸たちは、より長く何十年と形態を保ってくれますので、大切にしてやってください。

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掛け軸には欠かせない和紙

仕上がった掛け軸の裏面にあたる和紙は、宇陀紙と呼ばれるものを使用します。宇陀紙は強度が高くかつしなやかなで紙面がとても綺麗な和紙です。

宇陀紙1

宇陀紙は奈良県吉野の国栖で作られ、国栖紙(くずがみ)と呼ばれていました。江戸時代に宇陀の商人が全国に売り広めたことで 今日では宇陀紙と呼ばれています。過去には傘紙などの需要がありましたが、現在では主に軸装の総裏打ちに使われます。

この紙を漉くときに特徴的なのが細かな土粉を一緒に溶かし漉く点です。この土粉の正体は、粘土質の石灰で、これを入れることで和紙がアルカリ質になり酸化しにくい和紙になります。また、和紙がしなやかに仕上がるので巻き癖が付きにくくなります。この土粉の中でも、吉野で採れる白土から作る土粉は紙の質がとてもよくなるそうです。私のお師匠さんが掛け軸の理想のしなやかさとして「毛布のようなしなやかさ」と表現されていました。毛布は分厚いけど巻き癖がつくことがありません。掛け軸も適度な厚みを持ちつつ、巻き癖の付かないしなやかさ。そんな理想の掛け軸に宇陀紙は重要なポイントの一つとなってきます。

宇陀紙2

国宝修理の際に使える材料は素材や製法から厳しく条件が付けられています。その中で宇陀紙は「国産楮・天然の木灰汁で煮熟・吉野産土粉入り・板に貼り天日仕上げ」となっており、この条件を満たす宇陀紙は限られます。奈良県吉野にある福西和紙本舗さんは6代続いておられる紙漉き工房さんで、現在も上記条件を満たす宇陀紙を伝統製法で漉かれています。

宇陀紙3

以前、450年ほど前に書かれた墨蹟をお仕立てさせていただきましたが、その時の和紙は管理がよかったこともあってか経年を思わせない状態の良さでした。これをお世話になっている和紙問屋さんに話したところ、管理する環境の良さもありますが、和紙が漉かれた当時の天然素材・製法による所が大きく、現在の工業的な紙では難しいだろうとのことでした。宇陀紙においても、発達した現在で、あえて天然素材と伝統製法で漉いてくれることで作品を次世代へ受け継ぐ助力となっております。

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灼熱地獄のような日々の中で

残暑お見舞い申し上げます。といっても残暑に相応しくない暑さの毎日です。高野山は連日30℃超えの気候でバテていますが、それでも全国的には涼しいほうなので贅沢は言えません。

そんな暑い中、上巻きに使う絹織物を裏打ちしておりました。まず上巻きとは掛け軸の裏面上部を裏打ちしてある薄い絹のことです。これは掛け軸を巻き終わったとき軸表面を覆って見え、擦れなどから掛け軸を保護する役目があります。

上巻き 紺

一般的に上巻きに使われる絹は「福島絹」と呼ばれるものを使います。福島県川俣町が産地で、地名から「川俣絹」とも呼ばれます。とても薄い織物です。

福島絹
福島絹2

通常、裂地を和紙で裏打ちする場合は和紙に糊を付け、その和紙を裂地に貼り付け裏打ちしていきます。ところが、この福島絹を裏打ちする場合は、絹に糊を付け、その絹の上に何も施していない和紙を貼り付け裏打ちします。このような裏打ちの仕方を「地獄打ち」といいます。なんとも恐ろしい名がついたものですが、通常と逆になる場合を”地獄”と表現するそうです。

一回に1m×2mくらいの福島絹を地獄打ちし、乾燥させていきます。そして作り置きするために、この工程を何回も繰り返します。暑い工房で。ある意味地獄でした。

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燕は驚いてくれるかな?

6月になり、コロナ禍も少し落ち着いてきました。高野山は少しずつ、参拝の方々が増えてきたように思います。町には燕の子育ての姿が見られ、雛が一生懸命に巣から顔を伸ばし餌をねだる姿が可愛らしいです。

掛け軸には、「風帯」と呼ばれる燕と関係のあるパーツがあります。

掛け軸の上部から垂れている帯が風帯です。別名「驚燕」といいます。昔、中国では掛け軸を屋外で鑑賞したそうで、その時この風帯が風でなびくことで掛け軸に近づく燕を追い払ったそうです。

また、風帯は御簾に見られる”巻き上げた御簾を固定する金具に付ける装飾房”から来たものという説もあります。

風帯は、二枚の裂地を重ね、糸を見せないように縫い合わせて作ります。そして先端付近に「露(つゆ)」と呼ばれる飾り糸が付きます。

掛け軸の形には大きく分けて真・行・草と三段階の仕立があります。そして仕立ごとに風帯の形も少し変わります。真は最も格の高い形になり、風帯は裏の裂地を少し大きく取ってあり、表から見たとき細い筋を廻したように見えます。

行は真に次ぐ仕立で、風帯は裏の裂地が少し小さくなります。風帯裏の裂地は掛け軸の天地の裂地と同じものを使います。

草は行に次ぐ仕立で、行の形と同じ形式で風帯を作りますが、帯を作らずに細長い和紙を貼る場合もあります。この和紙を貼る風帯は茶道に用いられるような”茶掛”によく使われます。

今となっては燕を驚かすことは、なくなった風帯ですが一本作るのに手縫いでなかなか手間がかかっております。大切に扱ってあげてください。ちなみに掛け軸を巻き収納するとき、風帯は付け根あたりで内側に折れるようになっております。折ってから巻いていただくと綺麗に収納できます。

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大活躍してくれますように

不要不急の外出自粛の効果か、少しずつ新規感染者が減ってきているようで、このまま終息してくれることを願うばかりです。

最近、”アマビエ”なる絵が話題になっていましたが、そんな疫病を払ってくれる絵を紹介したいと思います。

鍾馗 掛け軸

勇ましく佇む武将のような人物は「鍾馗(しょうき)」と呼ばれる中国の神様です。

鍾馗が神様として崇められ始めたのは、8世紀、唐の時代。6代皇帝玄宗が病に罹り、その時見た夢の中で小鬼がいたずらをしていました。すると、どこからともなく現れた大男が、その小鬼を食べて退治します。玄宗が大男に名を尋ねたところ「私は終南山の鍾馗、科挙を受けたところ落ち、それを恥じて自殺した。だが高祖皇帝によって手厚く葬られ、その恩に報いるためやってきた。」と話したそうです。夢から覚めた玄宗の病は治っており、その後鍾馗の姿を絵師に描かせました。それ以降、鍾馗の絵を厄除けとして新年に門に貼る風習が始まりました。現代の日本では端午の節句に掛け軸や人形を飾ることが多いそうです。

鍾馗

当店にある鍾馗さんは少し穏やかな顔をされています。一般的?な鍾馗さんはもっと髭を蓄えられていてパッと見、閻魔大王みたいな風貌です。この穏やかな鍾馗さんでもビビりまくりの小鬼が見えるように厄除け効果バツグンなはずです。

小鬼

日々の手洗いなど出来ることはしっかり行っておりますので、あとは鍾馗さん掛け軸を飾り、ウィルスが近づかないようによくよくお祈りしたいです。

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甕の中で何が起きているのか?

今年は暖かい冬で助かると思っていたら寒波が来ましたね。その寒波を逃すまいと今年も古糊の水交換を行いました。

平成28年と30年に仕込んだ糊は、変化が少ししか現れていません。古糊が仕上がるのに最低10年かかりますので、根気よく寝かすしかありません。

古糊

有機化学の博士による古糊についてのお話では、仕込んだ古糊甕の中ではデンプンの老化(再結晶化)とカビによるデンプンの分解が行われているそうです。

糊化したデンプンが冷えることでデンプン分子が再び結晶化しようとします。これが進むと分子同士が絡み合いにくくなり水で容易に剥がれる接着力の弱い糊になっていきます。そしてカビによりデンプンが分解されデンプン分子量が小さくなっていく。この小さくなった分子量のおかげでしなやかな仕上がりになるのでは、ということでした。古糊甕の中では一年間の気温に応じて上記のような現象が起き、寒い時期にはデンプンの老化、暖かい時期にはカビによる分解を毎年繰り返すことで古糊になっていくようです。

さらに博士は、工程を解明できたのなら化学の力で古糊を再現できるのでは?要はデンプンを老化させ酵素で分解させ、ちょこっと細工を施せば・・・ということで試したところ数週間で性質のよく似た糊を作ることに成功したそうです。十数年を数週間に短縮した科学の力に驚かされるばかりでした。

博士は「化学の力で解明できると信じているので信仰はしない。あえてするなら有機化学の神様」とおっしゃっており、この力を見せつけられるとそう思うのも無理もないのかもと思いました。

でも昔の人は、どうやって古糊の有用性に気づいたのだろう?

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