新年あけましておめでとうございます。

新年になりもう一週間が経ちました。私はもっぱら食べ正月でした。七草でおなかを休ませなければ…

さて今回紹介するのは、この道具。

打ち刷毛

これは「打ち刷毛」といいます。シュロやクロツグなどヤシ科の植物を束ねて作られます。刷毛とはいっても、とても毛束が厚く撫でるためのものではないです。打ち刷毛は束ねた毛先で和紙を叩くように使います。

打ち刷毛で叩く様子

軸装では本紙に最初の肌裏打ちをして、それ以降の裏打ちの度にこの打ち刷毛を使って叩き込みを行います。

なぜ叩く作業が必要なのか。いくつかの効果が挙げられています。

掛け軸は巻くという動作があるため、しなやかに仕上げることが重要になります。しなやかに仕上げようと、上質な和紙を濃度の薄い糊で貼り合わせていくのですが薄い糊だと接着が弱く剥がれる可能性があります。

そこで、この打ち刷毛で叩き加圧することで 和紙の繊維が絡まり、薄い糊でも十分な接着を可能にします。そして、叩くことで小さな窪みができます。

打ち刷毛 打ち込み後

これは打ち刷毛が当たった箇所で、その箇所の和紙が加圧で薄く圧縮もしくは小さく穴が開きます。このことが更にしなやかさを加えてくれます。後いくつか効果あり…

しかし叩く力加減を間違えると本紙まで貫通します。かといって弱すぎても十分な接着ができないので適切な力加減で叩く訓練が必要です。

打ち刷毛は、そこそこの重さがあり、それを何十回と叩く動作をしなければなりません。しかも手で挟むように持ち、ブレないようにしっかり握りながら。そりゃもう腕と握力はパンパンになります。だから右左両腕で叩けるようになり、右腕が疲れたら左腕と交代しながら叩きます。少し大きな掛け軸になりますと笑えるほどの回数を叩いています。一度、回数カウントしている動画撮ってみたいんですよね。

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100年ぶりの再会

先日、京都で行われた表装についての研修会に行ってきました。国内外から300名を越す表装技術者が集まり、有識者によるテーマに沿った講演を聴くことができました。最新の表装技術についての話が聴け、とても有意義な研修会となりました。

せっかく京都に来たので、24日まで京都国立博物館で開かれていた特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」展に行ってきました。

佐竹本三十六歌仙絵とは何か?

平安時代、藤原公任に選ばれた飛鳥時代から平安時代の歌人36人を題材に描かれた絵巻物が三十六歌仙絵です。この絵巻は旧秋田藩主・佐竹侯爵家に伝わったことから「佐竹本」と呼ばれます。三十六歌仙絵と呼ばれるものはいくつかありますが、中でも佐竹本は最高の名品とされております。佐竹本三十六歌仙絵は、一歌仙ごとに歌仙の姿絵と詠んだ歌が一枚の和紙に描かれており、それらを繋ぎ合わせ巻物になっています。

佐竹本は時代と共に所有者が転々と変わります。そして大正6年、所有者が山本唯三郎へと変わるのですが二年後、山本氏が経営不振を理由に佐竹本を売りに出します。しかし佐竹本の高額さ故に買い手がつかない状況になります。

このままでは、海外へ流出するかとなったときに三井物産創設者である益田孝(鈍翁)を中心とした実業家たちにより一つの提案がされます。それは佐竹本三十六歌仙絵を一歌仙ごとに分断し、それぞれを購入希望者に、くじ引きで割り当て購入してもらうという形でした。これは当時「絵巻切断事件」とスキャンダラスに新聞で取り上げられます。しかし、分断された後は、それぞれの所有者が趣向を凝らした掛け軸に仕立て上げ、素晴らしい美術品へと変貌しました。

その後も各歌仙絵掛け軸は、所有者が転々とします。まさに、この特別展のテーマにもある「流転」。今回の特別展は、分断され流転すること100年。100年ぶりに31点が一堂に集まりました。これは過去最大の数とのこと。

僕は、この特別展に来られる人が多いと事前に聞いておりましたので開館まもなく博物館に到着したのですが、館内にはすでに長蛇の列。皆様の注目度の高さがうかがえます。博物館入り口までに特別展の顔となっている女性歌仙「小大君」のパネルがありました。女性歌仙は絵の華やかさもありか人気があり、絵巻切断事件のときも皆が女性歌仙を欲しがったとか。

京都国立博物館 佐竹本三十六歌仙絵

館内に展示されている歌仙絵の掛け軸は、それぞれ趣向を凝らしただけあり、使われている裂地も着物や帯を使ったと思われるものが見られました。中でも特に個性的な表装が「坂上是則」歌仙絵の表装でした。歌仙絵の周りに裂地を使わず、雪山を描いた山水画に歌仙絵をはめ込むように表装してありました。坂上是則が詠んだ歌に合わせ雪山の山水画を選んでおり、歌仙絵と表装が一体となった斬新な掛け軸でした。

その他には、ド派手で個性的な帯?や裂地を全体に使っており、歌仙絵より表装がメインに見えてしまっている掛け軸や軸棒の先に付く塗り物が、それだけで結構な御値打ち物であろう品が使われていたり表具師にとっては大変目の保養になりました。

巻物として、一つの美術品となっていた佐竹本三十六歌仙絵を分断するという決断は、相当の葛藤があったのではないかと思いますが、その英断があったおかげで36の個性豊かな美術品へと増え、我々を楽しませてくれています。いずれ、すべての佐竹本三十六歌仙絵が一堂に揃うことを楽しみにしています。

こういった展示の際、よく売られている出展物のカタログ。いつも表装まで載せられていなく少しガッカリするのですが、今回は、表装もバッチリ載せられており、即購入決定でした。参考資料が増えて大満足。

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様々な裂地を浅く説明

次回に続き、お客様からの疑問について載せたいと思います。今回は裂地の違いについてです。裂地には、大きく分けて金糸を使った金襴と金糸を使わない裂地に分かれます。

金襴は、本金襴・合金襴・新金襴と分かれます。

本金襴は本金の金糸が使われ、縦横共に絹糸が使われます。蚕から作られる絹糸を「正絹」と呼び、副産物から作られるものを「絹紡糸」と呼びます。本金襴は正絹を縦横共に使用します。本金で作られた金糸は金の変色がほとんどありません。

合金襴は銀や銅の合金から作られた金糸が使われます。縦横共に正絹が使われます。中には縦に化学繊維、横に絹糸を使うような交織合金襴と呼ばれるものもあります。合金は本金にはかないませんが金の色が変わりにくいです。

新金襴はアルミ箔から作る金糸を使用します。織り込む糸は人造絹や化学繊維、綿糸が使われます。金糸の色は一番変わりやすいです。

次に金糸を織り込まない裂地です。この裂地は様々な文様・種類があります。大きく分けると無地・緞子・遠州緞子・錦と分かれます。

無地の裂地は、文様が織られませんが糸の太さや織り方、節のついた糸を使うなどによって無地の中にも個性が出されます。それらは、魚子(ななこ)・絓(しけ)・紬(つむぎ)などと呼ばれます。

緞子(どんす)は主に縦糸・横糸一色ずつの糸で文様を出している織物です。表面に光沢があり、とても柔らかい裂地なことが特徴です。

遠州緞子(えんしゅうどんす)は小堀遠州が好んだ裂地を指す場合と一部の表具用裂地を指す場合があります。ここでは、表具用裂地を指します。緞子より光沢が抑えられており、横糸を通す数が増えると本数により「二丁遠州緞子・三丁・・・」と表記されます。横糸を増やすことで複数の色を使うことができ、緞子より色彩豊かな緞子ができます。

複数色の糸を使い、文様を出していく織物を「錦(にしき)」と呼びます。大陸から伝わった文様などが織り込まれています。とても色鮮やかですが、裂地が厚めのものが多いです。

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手打ち表装と機械表装

四国八十八ヶ所霊場などの御集印掛け軸を表装されるお客様とお話した時、よく出てくる疑問を取り上げたいと思います。

まず表装の仕方の違いについて。表装には大きく、手打ち表装と機械表装があります。

当店が行うのは手打ち表装です。すべて手作業で、糊を使って裏打ちを行い掛け軸に仕立てる伝統的な表装です。高級ランクの手漉き和紙を使い裏打ちすることで強靭さを加えており、長期保存に適しております。 また、加水することで剥がせる糊を使っておりますので仕立て直しができます。 しかし、裏打ちの度によく乾燥させるため仕上がりまでに時間がかかります。

近頃、見られるのが機械表装です。この表装では、熱で溶ける接着剤が付いた紙を使用し裏打ちを行います。アイロンで貼り付けられる布のようなイメージです。裂地などをその特殊な紙と一緒に大きなアイロンのようなプレス機に入れ熱圧着させます。機械表装は乾燥させる時間が要らないため、早く仕上げられます。また、掛け軸を掛けたときの掛かり具合は手打ち表装に比べ綺麗なように思います。しかし、機械表装は仕立て直しの際、特殊な接着剤を使用しているため加水だけでは剥がすことが出来ず、薬品を使うことになります。そして、その薬品は朱印を溶かす可能性が高く、御集印軸を仕立て直す場合は、かなり厳しい作業になります。

以上が表装の仕方の大まかな違いです。次の投稿では、裂地の違いについて載せたいと思います。

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覆輪と薬袋紙

この前、覆輪をつける作業を行いました。表具において覆輪とは、本紙や裂地の断面、縁を和紙で細く覆うように縁取りすることです。巻物の上下に覆輪をつけることがよくあります。

覆輪1
覆輪2
覆輪3
覆輪4

掛け軸の場合、両端に当たる所は裂地を折り返してあるので、裂地がほつれてくることはありませんが巻物の場合、裂地が切りっぱなしとなるので覆輪をつけることで裂地のほつれを予防することができます。

この覆輪で使われている和紙は薬袋紙と呼ばれるものを使用しております。薬袋紙は文字のとおり元々は薬を包むために使われていました。

薬袋紙

薬袋紙の色は、本来はヤマモモの樹皮から染料を採り、染めていたそうです。ヤマモモの樹皮は楊梅皮と呼ばれる漢方になっているようです。この染料にはタンニンを多く含むそうで、前回書いた柿渋に近いもののように思います。現在は薬を包むという本来の需要は少なく、表装で使われることが多いです。

この色の覆輪がワンポイントになって、いい感じと思いませんか?

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昔ながらの天然塗料

例年より遅めの梅雨明けをしたと思ったら猛暑で体がついていきません。昔の高野山は、気温30℃までいくと高野山にしては暑い方でしたが、今では余裕で超えてきて避暑地になりきれていないように思います。

梅雨明け目前に仮張りを修理しておりました。仮張りとは、表装に使う道具で襖のように木組みの下地に和紙を貼ったものです。これに裏打ちをした本紙や裂地を貼り付け、乾かします。

仮張りを使っていると時々仮張りが、めくれたり破れたりします。今回修理した仮張りは損傷が特にひどく、全体に新しく和紙を貼り、仮張りをリニューアルさせ、貼った和紙に防水加工を施しました。仮張りは、防水加工することで損傷を減らすことができ長持ちします。よく柿渋を塗ることが多いです。今回は、その柿渋を塗りました。

仮張りに新しい和紙を貼った様子

柿渋は、まだ青い渋柿の汁を熟成させて作る液体です。昔から、家具に塗る・衣服を染める等さまざまな使い方がされ、防水・防虫・防腐といった効果があります。しかし、柿渋は臭いがかなりきつく、周辺の皆様が苦情を出されるのでは?と思うレベルです。でも、最近は臭い成分を取り除いてくれた柿渋が売られており、苦情に怯えることなく安心して作業が行えます。

仮張り 柿渋

重ね塗りをした様子

柿渋は、重ね塗ることで強い被膜ができます。そして月日が経つほどに色に深みが出てくるそうです。また、よく日光に当てると変色が進むみたいです。この連日のピーカンに当てたおかげか、すでに色に変化が出てきているように思います。よく日に当たり強くなるんだよ。

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説明しきれない仏様?神様?

この前、とある仏画の表装をご依頼いただいたときのことです。

当店では、裂地選びの参考に本紙の内容をお調べすることから始めます。そのときにお預かりした仏画には、逆立った髪・忿怒の相・額に牛の頭をつけ・両手には 斧と羂索 (縄のようなもの)を持っているといった特徴を持つ仏様でした。

はじめは、明王様かなと調べるものの、それらしい方に見当たらず、荒神様かなと調べるが惜しくも見当たらず、さてどうしたものかと思っていると、本紙の仏様と一緒に9人の人物が描かれていることにピンときたのです。

そこで9人が描かれていることをヒントに調べるとすぐにヒットし、本紙の仏様は、「牛頭天王(ごずてんのう)」という仏様でした。

この仏様は、あらゆるお姿を持つ方で神様であるともいえます。

まず、平家物語で有名な祇園精舎の守り神。そして本地仏(神様の正体とされる仏様)である薬師如来。帝釈天。インドの神様インドラ。陰陽道における天道神。などなど世界をまたぎ多くのお姿を持っておられます。

中でも、有名なのが神道におけるスサノオノミコトです。この神様は、八坂神社をはじめ全国でご祭神になっている神社があります。 高野山周辺にも八坂神社があります。結構身近に祀られている神様ではないでしょうか。

なぜ、こんなにたくさんのお姿を持っておられるのかは、はっきりしません。ただひとつ言えるのは、ほぼすべてのお姿の神格に、とても暴力的な面を持っておられ、無碍に扱うことはしないほうがよいかということです。

元々は、疫病神とされていたようですが、厚く信仰することにより全く逆の厄災を除いてくれる神様になられます。また、スサノオノミコトと習合されたことにより五穀豊穣・子孫繁栄といったご利益もあるようです。

どの神様仏様をお祭りする場合にもいえることですが、雑に扱うことは決して相成らぬということですね。牛頭天王に関しては特にそう言えるかと。今回、表装をお仕立て替えされたお客様のところには、きっとご利益があることでしょう。

ちなみに牛頭天王の奥さんは 善女龍王というお方とされており、このお方はお大師さん( 弘法大師 )とのご縁が深く、私かってに身近に感じております。

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繊細な表現で時代を演出

古い本紙を表装するときに新しい裂地を使用する場合、裂地が新しいために本紙との時代差で全体の調和がとれにくいことがあります。そんなこともあって裂地織物屋さんは新しい裂地でも古く見えるような織り方、加工をしてくれているものがあります。

その中の金襴で金箔糸を古色加工した時代箔金襴というものがあります。

時代箔金襴

金箔糸の所々から朱色が見えています。金箔糸は金箔を押したものを糸状に切ったものですが、元々上等な金襴に使われる金箔糸は下地に朱を塗り、そこに箔押しをすることで金箔の色を鮮やかにする目的と,摩擦により金箔が薄れたときに朱が見えることで見栄えを落とさないように工夫されていました。

時代箔とは、朱が見えている金箔糸をわざと作ることで時代を経た雰囲気を持たせたものです。

また別の古色加工されたものでは、青貝と呼ばれる金襴があります。これは、銀箔に薬品を使い錆びさせることで、まるで螺鈿細工のような色をした箔を作り、それを箔糸にして金襴に織り上げてあります。不規則な箔色がおもしろく時代色をつけてくれます。

青貝箔金襴

時の流れだけは、操作することができないので上記のような苦労がどうしても拭えないのですね。ドラえもんさえいれば一発解決なのに...

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素材だけれど、まるで芸術作品

今年の高野山は桜の開花までがゆっくりで、ようやく咲き始めたくらいです。場所によっては見ごろかな?

先日、竹屋町裂と呼ばれる裂地を使いました。これは、京都の竹屋町で織られ始めたことから、この名が付いたそうです。

竹屋町裂

この裂地は紗(しゃ)という透けるほど薄く織られた織物に平らな金糸を縫いつけ文様を表現します。

竹屋町裂の特徴は、金糸の縫い方にあります。よく似た裂地で金紗というものがありますが、この裂地の場合、文様の端まで来た金糸は切られてあります。対して、竹屋町裂の場合は、文様の端に来ると金糸を裏へ入れ折り返し、次の文様へと続きます。

比較

特に竹屋町裂は、文様を作るために糸目を正確に数えながら縫わなければなりません。しかも手縫いということもあり、大量生産されることが難しく、お値段もなかなか..

竹屋町裂は、茶道に使われる掛け軸「茶掛」の表装によく使用されます。上品な竹屋町裂を使った掛け軸、皆さんもいかがですか?ご依頼じゃんじゃんお待ちしております。

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高野裂の謎にゆるく迫る

まるで春かと思わせるような天気があったかと思うと16日に雪が積もった高野山です。冬の始まりも終わりも三寒四温で、徐々に変わっていくのですね。先日ケーブルカーの新調工事が終わり、参拝者が少し増え始めました。きっと皆さん積雪に驚かれたでしょう。

そんな高野山では、13日に転衣式が行われました。転衣式は一年間、弘法大師の名代として務められる法印と呼ばれる高野山真言宗最高位に就かれる式です。そして法印になられると緋色の法衣に変わります。

話変わって、表具の裂地の中で「高野裂(こうやぎれ)」と呼ばれる裂地があります。これは名のとおり高野山由来の裂地といわれております。

高野裂は綾織りという織り方で織られ、基本的には後から染めます。当店でも色を指定し、染めてもらっております。とても柔らかい裂地で、綺麗に柄を揃えて裏打ちするのは少し難易度が高いです。

この裂地は、織り方などについては調べると出てきますが、どういった経緯で高野山由来の裂地となったのか、よくわかりません。昔、私が京都で修行中のころ聞いたのは「茹でるらしい」とか「叩くらしい」といったことで、長年なぜ高野裂と呼ばれるのだろうと思っておりました。結論からいうと未だにわかっておりません。今度、高野山大学の図書館で調べてみようと思っているところです。

ただ、上記の茹でる・叩くといったことについてはなんとなく見当がつきました。

まず、「茹でる」これは高野裂が後染めの裂地だということに答えがありました。染色する絹織物は精練と呼ばれる工程を行います。絹糸の表面はセリシンという物質で覆われており、お湯で煮ることでセリシンを取り除きます。これにより絹独特の光沢が出ます。高野裂を茹でるというのは、この精練工程のことだろうと思います。

もうひとつの「叩く」これは、ある道具について調べてわかりました。皆さんは砧(きぬた)と呼ばれる道具をご存知でしょうか。僕は実物を見たこともなく画像をお借りするのもあれなのでイラストにしてみました。

こんな感じの木製の叩き棒です。これと木や石の板がセットで使用されます。昔は家庭で普通に使われていたようで、たとえば糊のきいた洗濯物を砧で叩くことで、しなやかさを持たせ、光沢を出したそうです。他にはアイロンのようにシワ伸ばしにも使ったそうです。語源は「衣板(きぬいた)」で板のほうが砧と呼ばれていたのがいつの間にか叩き棒を砧と呼ぶようになったとか。ちなみに父親の故郷での呼び名は「つちのこ」

そして砧は反物の仕上げでも使われているそうです。つまり高野裂を叩くというのは、仕上げに砧で叩き、しなやかさを持たせることなのだと思います。ただ、今でも叩かれているかどうかは疑問です。

これで、茹でる・叩くことについては概ね見当がついたわけです。

本題の高野裂の由来については、古い高野裂を見ると大概、赤橙色をしており高野山由来のこの色となれば法印様の緋色の衣と結びつきます。よって高野裂はこのあたり由来なのかな~と勝手に思っております。

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