高野山の切子灯籠|受け継がれるお盆の風景

高野山では、お盆の時期になると、寺院の本堂などに「切子灯籠(きりことうろう)」が吊り下げられます。

このたび当店に切子灯籠の製作についてお問い合わせをいただいたことをきっかけに、高野山のお盆に欠かせない切子灯籠についてご紹介いたします。

切子灯籠とは

切子灯籠は、盆灯籠の一種です。

高野山で見られる切子灯籠は、白木で組んだ枠に和紙を張り、中央にひし形の火袋を配した形が特徴です。上下にも四角形の枠があり、上部には吊り下げるための吊り枠が設けられています。
また、下部から長く垂れ下がる和紙も、切子灯籠を特徴づけるものの一つです。

お盆になると、ご先祖さまたちは、切子灯籠を目印に帰ってくると伝えられています。

切子灯籠の歴史は古く、1599年の『実隆公記』には「きりこ燈呂」という記述が見られるとされています。

現在では、こうした切子灯籠を製作できる職人も少なくなり、昔ながらの形を受け継いでいくことが難しくなりつつあります。

切子灯籠を本堂に吊るしている様子
高野山内の寺院の本堂前に吊るされた切子灯籠

高野山のお盆と切子灯籠

高野山真言宗総本山金剛峯寺では、お盆が近づくと寺院の正面に切子灯籠が飾られます。

盂蘭盆会を迎える前には、高野山奥之院の燈籠堂から「消えずの火」をいただき、消さないように寺院へ持ち帰ります。そして、まず切子灯籠へ火を移し、その後、油燈籠にも火を移して、お盆の期間中灯されます。

高野山内の各寺院でも、盂蘭盆会の期間には切子灯籠が本堂に吊るされ、この時期に高野山を訪れると、普段とは少し異なる、静かで趣のあるお盆の風景を見ることができます。

表具から見た切子灯籠

表具師は切子灯籠の製作では、和紙を張る作業が大きな部分を占めます。

一見すると、木で組まれた枠に順番に和紙を張っていくように見えますが、実際にはどこから張るか、その順番が重要です。

先に和紙を張ってしまうと、後から別の部分を張る際に手を入れられなくなってしまうことがあります。そのため、作業の途中で手を入れられる場所を確保しながら、張る順番を考えて進めていきます。

切子灯籠は、一般的な掛け軸の表装とは形も構造も異なりますが、和紙を扱い、皺やたるみを見ながら仕上げていくという点では、表具の仕事にも通じる部分があります。

見た目を整えるだけでなく、完成したときの形を考えながら、どの順番で作業を進めるか。
そこにも、切子灯籠を仕立てる上での大切な判断があります。

切子灯籠の製作を承っております

当店では、高野山で使用される切子灯籠の製作を承っております。
現在は、次の2種類のサイズで製作しております。

切子灯籠製作事例(大)
切子灯籠製作事例(大)
切子灯籠(大)サイズ
切子灯籠(大) サイズ
切子灯籠製作事例(小)
切子灯籠製作事例(小)
切子灯籠(小)サイズ
切子灯籠(小) サイズ
火口の様子
火口の様子
火袋の内部
火袋の内部

寺院で新しく切子灯籠をお求めの場合や、現在お使いのものを新調される場合など、製作についてお気軽にご相談ください。

加勢田芳雲堂 お問い合わせフォーム

高野山で長く受け継がれてきたお盆の風景の一つとして、切子灯籠の文化がこれからも大切に受け継がれていくことを願っております。

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古糊|十年寝かせた糊の状態と変化

表具で使う糊には、長い時間をかけて寝かせた「古糊(ふるのり)」があります。
当店でも古糊を仕込んで保存していますが、平成28年と平成30年に仕込んだ糊が、最近になって変化を見せました。

十年近く保存していた古糊の表面に、カビが現れ始めたのです。
仕込んでから二、三年ほどはほとんど変化は見られませんでした。

一般的にはあまり良い印象のないものですが、古糊では、このカビが現れる状態が一つの目安ともなります。
長い時間の中で、環境中の微生物が関わり始めた変化の一つとも考えられます。

十年ほど保存した古糊の表面に現れたカビ
十年ほど保存した古糊。表面にカビが現れ始めています。

古糊とは

古糊とは、小麦デンプンから作った糊を水甕の中で長期間保存したものです。

表具で使う古糊を保存している水甕
古糊を保存している水甕
炊いた糊を甕に入れて水を張り保存する様子
炊いた糊を甕に入れ、水を張って保存します。

仕込んだばかりの糊は粘りが強く接着力も高いのですが、時間の経過とともに粘りが落ち着き、穏やかな性質へと変化していきます。
また、カビが発生した環境に糊を置くことで、耐カビ性を持つようになるともいわれています。
高野山は周囲を山に囲まれた土地で、湿度も高く、カビへの対処が常に求められる環境です。そのため、糊の性質も仕立てに関わる要素の一つとなります。

このように時間による変化を利用した糊が、表具や掛け軸の修理の場面で用いられています。

糊の素による性質の違い

糊の性質は、糊の素の状態によっても違いがあるとされています。

表具用の糊の素となる小麦デンプン
糊の素。小麦粉からグルテンを取り除いた小麦デンプンです。

糊の素である小麦粉からグルテンを取り除いた小麦デンプンは、

  • 上記写真のように一度乾燥させた状態
  • 乾燥させず、湿気を残した状態

の2パターンが存在し、どちらからでも糊を作ることができます。

文献によると、

  • 乾燥させた糊の素から作った糊は 中性に近く
  • 乾燥させずに炊いたものは 酸性に傾く

という違いがあるとされています。

糊は紙や裂地と長く関わる材料のため、このような性質の違いも仕立てや修理を考えるうえで興味深い点です。

時間も材料の一つ 古糊の変化

古糊は、仕込んですぐに完成するものではありません。
年単位の時間を経ることで、少しずつ性質が変化していきます。

平成28年に仕込んだ糊は、もう十年近くになります。
その表面に現れた小さな変化を見ながら、表具という仕事には、人の手だけでなく時間そのものも関わっているのだと感じます。

新しく仕込んだ糊

糊は大寒のころに仕込みます。これは使用する水に雑菌が繁殖しにくい寒の水が良いとされていたからです。
高野山の冬は冷え込みも厳しく、糊を炊く季節になると山の寒さをあらためて感じます。

表具用の糊を炊いている様子
大寒の頃に糊を炊いて仕込みます。
表具用の糊が半透明になり、完成した様子
半透明になってくると完成です。

今年の大寒に新しく糊も炊いて仕込みました。
今はまだ新しい糊ですが、これもまた時間とともに少しずつ変化していくことになります。

いま仕込んだ糊がどのような状態になるのか。
十年後にまた見比べるのが楽しみです。

高野山での表具の仕事や、その考え方については、こちらのページでも紹介しています。

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高野山の宝来とは|切り絵に込められた意味と文化

高野山の宝来(ほうらい)は、新年に用いられてきた切り絵の縁起物です。
紙を切り出して作られるこの宝来には、場を清め、年の節目を整えるという意味が込められてきました。

高野山の宝来は、年末から新年のはじまりにかけて紙を切り出して作られ、長く受け継がれてきました。
稲藁が入手しにくい山上で、しめ縄の代わりとして始まったという一般的な説明があります。
しかし私は、ただ、それだけで語りきれるものではないようにも思われます。

宝来は、下絵に沿って刃物で切り、形を整えていきます。
集中して下絵から逸れないように刃先を進ませる行為は、自然と余計なことを考えなくなる時間でもあります。
色や装飾を誇示するのではなく、形を整えること自体が、自分の気持ちを落ち着かせる行為として成り立っているようにも思えます。

宝来を切る様子
宝来制作風景

高野山の宝来には、いくつかの伝統的な形があります。
雲形、宝珠、そして「寿」の字などが代表的なものです。

雲形は輪郭として用いられ、宝来全体の外形を整える役割を担っています。
日本では古くから、彩雲や瑞雲のように、雲そのものに吉兆や清浄の感覚を重ねてきました。そうした雲のイメージになぞらえるなら、宝来の雲形もまた、内側に配された文様や文字を包み込み、場を整えるための輪郭として用いられてきたのかもしれません。

高野山の宝来 雲形
高野山の宝来 雲形の様子

宝珠の形は、仏教で語られてきた宝珠のイメージと重なるものがあります。
仏教において宝珠は、願いをかなえる宝玉、仏の教えの象徴として表されてきました。宝来の中に配される宝珠も、そうした考え方になぞらえ、願いや祈りを込める「よりどころ」のような形として受け取られてきたのかもしれません。

高野山の宝来 宝珠
高野山の宝来「宝珠」

また「寿」の字は、その字のとおり、長寿やめでたさをまっすぐに表す形として親しまれてきました。

高野山 宝来 寿
高野山の宝来「寿」

これらの形はいずれも、見るための装飾というより、空間に意味を与え、心の向きを整えるためのかたちとして受け継がれてきました。

石川県能登地方でも、高野山の宝来に似た切り絵の風習があります。
能登では、神棚や住まいに貼る吉語や七福神の切り紙飾りが、「宝来」と呼ばれて親しまれています。

高野山の宝来と、能登で育まれた紙飾り。
形式や起源は異なれど、「場を整え、心を新しくする」ための日本人の感性が、そこには息づいています。

私たちの工房でも、宝来を単なる飾りとは考えず、
新年の節目として場を整えるものと捉え、丁重に扱います。
掛け軸の仕立てにおいても、作品と空間の関係を整えることを大切にしてきましたが、その感覚は宝来とも通じるものだと感じています。

当工房では、こうした背景も大切にしながら、宝来と向き合っていきたいと思っています。

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高野裂の謎にゆるく迫る

まるで春かと思わせるような天気があったかと思うと16日に雪が積もった高野山です。冬の始まりも終わりも三寒四温で、徐々に変わっていくのですね。先日ケーブルカーの新調工事が終わり、参拝者が少し増え始めました。きっと皆さん積雪に驚かれたでしょう。

そんな高野山では、13日に転衣式が行われました。転衣式は一年間、弘法大師の名代として務められる法印と呼ばれる高野山真言宗最高位に就かれる式です。そして法印になられると緋色の法衣に変わります。

話変わって、表具の裂地の中で「高野裂(こうやぎれ)」と呼ばれる裂地があります。これは名のとおり高野山由来の裂地といわれております。

高野裂は綾織りという織り方で織られ、基本的には後から染めます。当店でも色を指定し、染めてもらっております。とても柔らかい裂地で、綺麗に柄を揃えて裏打ちするのは少し難易度が高いです。

この裂地は、織り方などについては調べると出てきますが、どういった経緯で高野山由来の裂地となったのか、よくわかりません。昔、私が京都で修行中のころ聞いたのは「茹でるらしい」とか「叩くらしい」といったことで、長年なぜ高野裂と呼ばれるのだろうと思っておりました。結論からいうと未だにわかっておりません。今度、高野山大学の図書館で調べてみようと思っているところです。

ただ、上記の茹でる・叩くといったことについてはなんとなく見当がつきました。

まず、「茹でる」これは高野裂が後染めの裂地だということに答えがありました。染色する絹織物は精練と呼ばれる工程を行います。絹糸の表面はセリシンという物質で覆われており、お湯で煮ることでセリシンを取り除きます。これにより絹独特の光沢が出ます。高野裂を茹でるというのは、この精練工程のことだろうと思います。

もうひとつの「叩く」これは、ある道具について調べてわかりました。皆さんは砧(きぬた)と呼ばれる道具をご存知でしょうか。僕は実物を見たこともなく画像をお借りするのもあれなのでイラストにしてみました。

こんな感じの木製の叩き棒です。これと木や石の板がセットで使用されます。昔は家庭で普通に使われていたようで、たとえば糊のきいた洗濯物を砧で叩くことで、しなやかさを持たせ、光沢を出したそうです。他にはアイロンのようにシワ伸ばしにも使ったそうです。語源は「衣板(きぬいた)」で板のほうが砧と呼ばれていたのがいつの間にか叩き棒を砧と呼ぶようになったとか。ちなみに父親の故郷での呼び名は「つちのこ」

そして砧は反物の仕上げでも使われているそうです。つまり高野裂を叩くというのは、仕上げに砧で叩き、しなやかさを持たせることなのだと思います。ただ、今でも叩かれているかどうかは疑問です。

これで、茹でる・叩くことについては概ね見当がついたわけです。

本題の高野裂の由来については、古い高野裂を見ると大概、赤橙色をしており高野山由来のこの色となれば法印様の緋色の衣と結びつきます。よって高野裂はこのあたり由来なのかな~と勝手に思っております。

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強い守護を受けてそうな襖

早いものでもう二月です。逃げる二月に去る三月、先日も暖かかったことですし春は意外とすぐ来るかもしれません。

さて先日は恒例の「古糊の水替え」を行いました。昔からある古糊は相変わらず水面がカビっていました。しかし、近年仕込んだ糊はほとんどカビっていません。ただ平成28年産の糊に少しだけ変化が見られました。

画像ではわかりにくいですが所々、薄茶色く変色してきていました。これは今後の変化が楽しみです。

話は変わって、ある日古い襖の修復のため表面の本紙をめくったところ下地からすごいものが出てきました。

梵字が書かれた和紙が貼られてありました。我々は、こういった和紙を「反故紙(ほうぐし)」と呼びます。 前もどこかで話したかもしれませんが、 反故紙は大福帳などの使用済みの和紙を指します。強靭な和紙に墨が塗られているため防虫効果が期待できます。

大福帳の中身が反故紙として貼られているのはよく見ますが、これだけの梵字が貼られているのは、なかなか見ません。圧倒されます。

確か梵字は一字ごとに仏様を表していたはずで、これだけ並んでいると何だか曼荼羅のように思えませんか?それも高野山内にあった襖なので尚更。もちろんできる限りきれいに剥がし保管しておきます。

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に色にまつわる女神様

高野山はすっかり紅葉が終わり、落葉しきった樹が見られ始めてます。気温一桁の天気もあり、いよいよ冬到来です。

高野山を下ったところに天野という地域がありまして、そこには丹生都比売神社があります。私はこの神社が大好きでよくお参りに行きます。

ここは高野山ととても深い関係があり、ご祭神である丹生都比売大神の御子である高野御子大神が弘法大師を高野山へ導かれました。そして今もなお高野山の守護神として祀られております。

丹生都比売大神の丹(に)という字は朱色の岩絵の具を指しています。水銀の鉱物から採れる丹は、貴重な鉱物で海外では賢者の石と呼ばれていました。水銀鉱脈がある地域には丹生と名づけられたところが多く、それら全国の丹を支配する一族の祀る女神が丹生都比売大神とされております。

神社は静かな場所で森を背景に立派な丹色の楼門がデンッと建ち素晴らしい景観を見せてくれます。私は、お参りのたびに表具の技術向上を願いますが、お門違いで神様方も困惑されているやも知れません。

毎月16日は御神犬のすずひめ号(紀州犬)がご神前にご参拝します。真っ白なかわいいお犬様ですよ(まだ会ったことないけど)

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慣れとは恐ろしいもの

いよいよ師走の12月になり、気候も冬らしくなってきた高野山です。

今回は、私がふと思ったことをひとつ

これは最近修復をした屏風の背面です。

屏風 修復後

修復前は経年により糊の接着力がなくなり、負荷がかかる紙番は自然に崩壊していました。

屏風 修復前

この屏風はおそらく今回が初めての仕立て替えと思われ、そうであれば製作されてから約100年ほど経っていることになります。表面には書画が貼られていました。それらの書画を修復しながら私は、「100年ほど前なら、まだ新しい方だな」と思っていました。

少し話が変わって上記の屏風と同じ頃、かなり古い作品を修復したのですが、そこに書かれた元号によると約400年前のものとわかりました。さすが歴史ある高野山。400年も前のものを修復するのは緊張します。そのとき私は、ふと客観視できたというか改めて思い知ったのですが、

400年も前のものが目の前にあるってものすごいことじゃないですか?

もちろん普段から古いもの新しいもの関係なく修復表装するときは、次の世代に残るように、出来るだけ今の状態を維持できるように、少しでもいい状態になるようにと修復表装します。だから、100年前が比較的新しいものと思うから手を抜くなんてことはないのですが、その作品を修復したときは目の前のものが、あまりに時間を越えてきたものだと改めて思い、それと相対していることに不思議な感覚を覚えました。

そこで、改めて私は上記の屏風を見て思ったのです。

「100年前のものが目の前にあるってものすごいことじゃないか」って

前までは15年ほど前をほんの数年前に思うような感覚の延長で100年前を思っていました。高野山は本当に古いものが多く、ありがたいことに私たちは日々それらを修復させてもらえます。その中で年数への慣れが生じていたのだと思います。

歴史あるものを扱わしてもらえる責任を再確認した、そんな出来事でした。

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紅葉の高野山。展覧会開催です。

高野山は今、紅葉で色鮮やかです。

今週末から山内で伝統産業展・公募写真展が始まります。これは、高野町と地域おこし協力隊が主動のもと高野山のお膝元で発展してきた伝統産業に着目した単行本「お大師さまの息」出版に伴い開催される展覧会です。

伝統産業展&公募写真展

当店も参加します。そこで展示するものの中に「丸包丁」というものがあります。

丸包丁

丸包丁は名の通り丸い刃の包丁で古来より和紙や裂地を裁断するときに使われました。最近では、カッターナイフを代用する場合があります。この包丁が優れている点は、切る対象との抵抗が少ないことです。特に裂地を切る場合、抵抗が少ないおかげで断ち面がほつれにくく、より綺麗に切ることができます。

カッターナイフを使用する場合、出来るだけ刃の角度を小さくしても限度があります。よって丸包丁よりは抵抗が大きくなります。

カッターナイフ 角度

しかし、カッターナイフは切れ味が落ちると、すぐに刃を折って切れ味を戻すことができます。

丸包丁は刃の角度を極めて小さくできます。

しかし丸包丁の場合、刃の切れ味が落ちると研ぐ必要があるため切るものが多いときは複数の丸包丁を用意する必要があります。そして、刃が曲線なのでとても研ぎにくいです。

と一長一短ある裁断道具たちです。

昔の弟子見習いさんたちは、次の日に向けて何本もの丸包丁を研ぎ、次の日先輩方に「全然切れない包丁やな」と嫌味を言われたとか言われないとか。まぁ切れはしたのでしょうが更に上を目指すための愛の鞭なのでしょう。

展示会には、他の道具たちも展示します。また、掛け軸などの展示も行います。お時間ございましたらどうぞ、ご覧にお越し下さいませ。

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数珠のルーツ

掛け軸表装の最終段階で「裏擦り(うらずり)」と呼ばれる作業があります。内容は軸装物の裏面を数珠で擦るのです。裏擦りについて→「裏擦り(数珠擦り)」

現在、表装で使用される数珠は水晶やガラス製が多いですが、かつてはムクロジという植物の種が使われていたそうです。どんなものなのかというとムクロジの実 外殻

これがムクロジの実です。黒くなってきていますが元は薄い黄緑で時期と共に綺麗な半透明の橙色に変わり、乾燥して黒くなります。

この実は石鹸の代わりとして使われていました。瓶などに水と実を入れ、良く振ると泡立ち、石鹸のように使えます。今でもオーガニック石鹸として洗濯などに使われます。この中に種が入っています。

ムクロジの実種は、ツヤツヤして硬いです。ムクロジの種は、お釈迦様のお言葉の中にも現れ、この種を使った数珠が「数珠の起源」とされています。

また、この種は、お正月の遊び「羽根つき」で使う羽根の先についている玉に使われていました。ムクロジを漢字で書くと「無患子」。子供が患わ無い縁起物です。

さて、この種。穴が開いています。元々は開いていませんが今回、ムクロジの数珠を作ってみたく穴を開けた種を取り寄せました。ただ、正式な数珠は108個の珠で出来ており、今回は50個仕入れたので、この数珠はあくまで表装用になります。

作り方は、ただ種をタコ糸に通すだけなので簡単に仕上がりました。

ムクロジの数珠使ってみると、普段のガラス製に比べ、滑りにくいように思います。もう少し使うと馴染んでくるのでしょう。この数珠は使うほど磨耗していきますので、大切に使っていきたいです。

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年季の入った障子に要注意!

師走となり今年も残すところ僅かとなりました。大掃除をしていく中で今年のうちに障子を張り替えようという方もいらっしゃるかと。

障子の張替えで、あまり語られないのが障子建具の角度です。これは特に年季の入った建具・建物(お寺さんや昔ながらの民家など)に言えることですが、経年で建物が傾いてきた場合、障子と柱の間に隙間ができます。

 

障子

 

 

また、建物に傾きがなくとも和紙をめくられた古い障子が傾く場合もあります。傾いた障子

これらの傾きによる隙間は、建具を一つひとつ調整しながら和紙を貼っていくことである程度、解消することができます。建具が傾くこと、建物が傾いていることに気づかずに和紙を貼った場合、最悪こんなことになるわけです。

 

傾いた障子2

障子の張替えといえども、侮れません。皆様お気をつけ下さい。

当店でも障子の張替えを承っております。が、年末になると依頼が増えますので早々に障子の張替え、ご依頼していただくとありがたいです。

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